2012年01月30日

山本卓真さん死去に思う



上流工程で成功する人、つまずく人 (技評SE新書)

  富士通の山本さん亡くなったねえ。おいらがPC業界に関わるようになったころには既に社長でぶいぶいいわせていた。

  そのころちょと縁があって、富士通のパソコン事業部のある南多摩工場に週1ぐらいで行っていたのだが、一度だけ山本さんを見掛けたことがある。
  打ち合わせしていたら急に事業部のフロアがざわついて緊張が走ったのを覚えている。富士通の担当者が、あれ社長と小声でささやき指差した先に、山本さんと当時の事業部長が何やら立ち話をしている姿。

  南多摩工場にはNECのPC98に対抗して発売した16ビット機FMRの部隊が集結していたのだが、ちょうど販売不振で大苦戦していた時期。そりゃあそうだ。事業部にはFACOMの経験しかないエンジニアばかりで、MS-DOSのコマンドもよく分かってない課長がごろごろしていたし、驚くなかれ、内部仕様などのドキュメントを管理する部署がやっとできたばかりという状態だったわけで、どたばたしてた時期だった。
池田敏雄から受け継がれてきた汎用機のトップリーダーというプライドもパソコン事業展開には裏目に出ていたように思う。

  富士通HPの年表「早わかり 富士通の歴史」を見てもFMRの文字は出てこない。後のDOS/V機「FMV」や32ビットの「FM-Towns」に飛ぶところをみると、「FMR」は富士通の歴史の中では暗黒面となっているのかもしれない。

  それはともかく、その時見掛けた山本さんの眼光鋭い表情にトップのすごみを感じたことを思い出す。

  ご冥福を祈る。
posted by じんちゃむ at 16:17| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 企業活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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