2008年04月14日

空飛ぶ夢は破れても

このようなエントリを立てるといろいろ誤解する人がいるので、最初にお断りしておくが、私はおとこのこなので、飛行機が好きなだけだ。小さいころの夢は、第一位が「サッカーワールドカップに出場すること」で、2位が「飛行機のパイロットになること」であったことは、家族や友達らはおそらく誰も覚えてないだろう。

一位は選手としては程遠い状況であったが、我が日本代表が98年フランスW杯出場を勝ち取ったことで、気持ちのうえでほとんど成し遂げた(深夜の万歳三唱は今でも忘れない)
2位については、詳しくは書かないが、身体的理由でその道に行くまえに門前払いとなったことは苦い記憶である。

なので、三菱重工が開発中の国産ジェット「MRJ」のことや、今日紹介するこの記事などは、どうしても敏感になってしまう。

☆「91式戦闘機」重要航空遺産第1号に 埼玉県が保存(2008.4.14 iZa)


戦前、国産戦闘機の技術開発の基礎になったとされ、国内で唯一、埼玉県の所沢航空発祥記念館が保存している「91式戦闘機」が、日本航空協会の「重要航空遺産」第1号に認定され、埼玉県庁で14日、認定証授与式が行われた。

 日本航空協会によると、旧中島飛行機製作所が開発し、1930年代に約440機を生産。時速300キロを超えるなど、欧米の水準に近づいた初めての国産戦闘機だった。現存するのはコックピットを含む胴体部のみで、県はレプリカによる復元を目指している。

 30年代、戦闘機の生産量は世界的に少なく現存するものもまれなため、航空機史上、極めて貴重という。

 このほか国立科学博物館所有の「YS11」も国産旅客機の量産初号機として重要航空遺産に認定された。


日本の航空機開発といえば、なんといっても三菱の「零戦」(正式名:零式艦上戦闘機 よみ:れいしきかんじょうせんとうき)が有名だが、その「零戦」の生産も担当した中島飛行機が、「零戦」よりも前に陸軍向けに開発・製造したのがこの「91式戦闘機」だ。

このサイトに詳しいが、戦前から戦後にかけての日本の航空機産業、ひいてはそれをとりまく企業群の技術力向上(つまり、ものづくり大国ニッポン)に絶大なる影響を与えた名機である。

このときから連綿と受け継がれた技術・ノウハウが戦後の成長を下支えしたのは論をまたない。今の自分たちが楽しく暮らせているのは、この歴史を抜きには語れないはずだ。

関わった人々の情熱に敬意を表し、時間をみつけて所沢航空発祥記念館を訪れてみようと、しみじみ思う春の夜。





posted by じんちゃむ at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 企業活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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